【コラム】たこ焼きの歴史について 

たこ焼きについて

たこ焼きは、大阪のソウルフードで安価で誰でも食べられることが魅力に上げられます。 

卵・水・小麦粉で作った記事の中にタコを入れて、丸い形の機械で焼いているものであり、記事の焼き方・かけるソース・生地に含む野菜などはお店によって異なりそれぞれで個性を出すことができる食べ物です。 

たこ焼きの歴史 

たこ焼き以前にもたこ焼きに似たものがを存在しました。そこには「ちょぼ焼」・「明石焼」「ラヂオ焼」があげられます。 

1 ちょぼ焼

「ちょぼ焼」の作り方は水で溶いた小麦粉に、細かく切ったこんにゃく・ねぎ・しょうが・天かすが入った食べ物です。 

大正時代から昭和の初期にかけ駄菓子屋などで食べることができました。たこ焼きと大きく異なる点はフォルムでありたこ焼きが丸い球体の形であるのに対して、長方形の形で焼かれています。また、関西だけではなく熊本などでも食べられていました。

2 明石焼

「明石焼」の作り方は玉子・薄力粉・出汁・水で作った生地にタコのみを入れ、最後にだしをかけます。

 名前から分かる通り明石焼は兵庫県明石市の郷土料理です。歴史は古く江戸時代から存在しました。明石焼きは地元では「玉子焼」という名前で呼ばれており、玉子をメインに調理した料理です。たこ焼きが鉄板で作るのに対して銅板を使用されています。この銅板を使用することでふわふわに仕上がります。 

3 ラヂオ焼き

 「ラヂオ焼」の作り方はたこ焼きと同じ卵・小麦粉・水で作ったしょうゆベースの生地にすじこんにゃくを入れたものです。 

昭和8年(1933年)に会津屋が作った料理でちょぼ焼がもとになっています。たこ焼きとの違いは中に入る具がタコであるか牛すじ肉であるかということです。牛すじ肉はみそ味で仕上げられておりそこに細かく切ったこんにゃくを合わせたすじこんにゃく、通称「すじコン」が使用されます。ラヂオ焼き自体にしっかりと味がついておりソースなどをつけなくても食べることができます。当時はやっていたラジオから名前を取りラヂオ焼きと名づけられました。 

4 たこ焼きの誕生

昭和10年(1935年)ラヂオ焼きがあまり評判が芳しくない中、会津屋創業者である遠藤留吉がラヂオ焼きを販売していたある日、お客様から「大阪は肉かいな。明石はタコ入れとるで。」の言葉をヒントにして、ラヂオ焼きにタコを入れることを模索し「たこ焼き」を完成させました。 

たこ焼きは「明石焼」と「ラヂオ焼」を参考にして生まれた料理です。 

たこ焼きは販売当初から世間に受け入れられ、広く知られるようになりました。 

また、販売当時はたこ焼きにソースはかけておらず何もつけずに食べていました。戦後、濃厚ソースが作られるとたこ焼きにソース・青のり・削り鰹節をかけ、ふねに乗せつまようじを付けた現在のスタイルが確立されました。 

現在でも会津屋では元祖の形でソースをかけない元祖たこ焼きが販売されています。 

まとめ 

今回たこ焼きの歴史についてまとめました。たこ焼き以前から手軽に食べられる粉ものが多く存在しており、融合してできたものがたこ焼きです。 

ちょぼ焼・明石焼・ラヂオ焼が気になった方は自分で作られたり、食べにいかれたりしてみてください。 

たこ焼きの元祖が食べられる会津屋に行き一度初めて作られたたこ焼きを食べてみるのもおすすめです!